第0話

断っておくが、この物語に終わりはある。

物語は往々にして当然終わりがあるものだが、そのうちの一つであるこの物語にも終わりがある。

 

 魍魎の町というほどに、魑魅魍魎の跋扈する町ではないのは間違いないが、はてさてこの第三都市に来し方何年も過ぎた。

 

ふと思い立ち過ぎし自由と青春の日々を思い出していた。あるとき友人達からこんなことを言われたのを思い出す。

 

D「ブログを書かないか?」

B「そうですよ、ブログ書いてくださいよ

めっちゃ読んで見たいです。」

D「君は言葉を持ってるからきっと面白いブログが書けるはず。」

 

その時は正直気乗りしなかった。

なぜなら一人遊びはその頃、何もわかっていなかったからだ。そんなことをするよりも一人遊びはこの遊びの真理を探究したかった。

この遊びに興じる野郎どもは大抵二つの理想を抱く。

 

一つは、愛すべき生涯の伴侶を見つけること。もう一つは、この遊びの真理を探求すること。

 

そして大体の若者達は前者を見つけ、

この遊びの界隈から卒業していくのである。

言わば、これが青春の終わりというやつなのかもしれない。

私も学生を終えて以降にこんな青春が待っているとは思っても見なかった。

毎日が輝いており、そして毎日が出会いに溢れ、振られ、口説き落としてナイトセッションに興じたりしたりしながら、成功も失敗も仲間と笑いあったりもしたものであった。でもその裏に潜む危うい出来事や挫折や嫉妬、恐怖体験もまたそれらの裏返しに過ぎない。

女性読者の人々がいたとしたらぜひ覚えていてほしい。貴方が人生で一番だと思って出会った男の後ろには、こんな物語が潜んでたりするものだってことを。もしかしたら知りたくもない話かもしれない。しかしながらこれは、太古の昔、人類がアフリカで誕生した頃から繰り返されてきた言わば人類の伝統芸能の一つだと思う。男はみんな一人遊び二ストである。実は女がみんな一人遊びニストであるように。

だからこそ、それに拐かされたとどうか悲嘆に暮れることなく、その工程を楽しんでほしいと思う。なぜなら、君のお父さんとお母さんにもそんな時代があったのだから。

その結果選ばれたあなたは、一族の最高傑作であり、素晴らしい遺伝子なのだから。

などと励ましながらも、

多くはこのように素敵な女性に出会って、この遊びから卒業きていく。しかしもう一つの理想とはまた業が深いものである。

 この遊びの真理の探求。それは即ちありとあらゆる女性を口説き落としてセッションしたいという男子誕生して何十年刮目して見るまでもなく、誰もが持つ青い欲望とひたすらに向き合うということである。これは往々にして多くの社会性の問題を抱える。なぜなら、人は敵わぬ欲望と正しく向き合うことで大人になっていくからである。大人になれない存在は社会から爪弾きに合うか、ひっそりとその遊びを嗜むことなく貪り続け、最後は同じ欲に取り憑かれたものどもと帝国でも建国するしかない。しかし帝国主義は歴史を見ても明らかなようにじきに滅びるのである。そして実際滅びていく。正しいあり方は滅びる前に大人になるか、真理がわかればそれをもって界隈を去るかである。でなければ年月をもって青春を終わらせるか、あるいは真に滅び去るかだと思う。私は真理の探究に挑み続けまるで日の本一の剣豪になるかの如く探究に進み続けた。結果さまざまな全国の一人遊びニストたちと交流し、武者修行に挑み、その結果帝国主義に誘われ、時代の変わり目を目の当たりにし、ここを去らねばならなくなった。しかしてその結果真理にたどり着いたという、稀有な事例だと思う。よって一人遊びはもうあの自由と放埒の日々に夢を抱いて戻ることはもうできないだろう。良くも悪くも一人遊びはあまりにもいろんなことを知り過ぎた。お花畑の夢や理想を抱いてこのアングラな世界に入ったものの、結果として目の前の魔法なき残酷な現実のそれぞれを知ってしまったのだ。そう、この世界に魔法使いなんていないのだ。

魔法使いに見える人々の裏には常に不都合な真実が隠れているのだから。

でも、またいつもの、あのいつの時代も変わらない溜まり場に、いつも集う若者達が、ストロング缶を飲み干し、女性達にアプローチする遊びに興じる様と、迷惑そうであったり愉快そうであったりしてそのアプローチに応じる様を見るにつけ今も微笑ましい気持ちにはなるものである。あれだけのことがあっても一人遊びは彼らの事を嫌いにはならなかった。

 

そんな中、仕事の帰りにあの魍魎の町の、

いつもの溜まり場の前をふらりと通った時、

たまたまあの日々のことを思い出した。

 

そして墓場まで持って行くつもりだったが、

考えを改めるきっかけとなり、

墓場まで持って行くには惜しかった

魅力的な人々について、

愛と尊敬を込めて、

墓場に行く前にここに残せたらなと思ったりしている。

 

念のため断っておくが、これから話すことは間違いなく実話に基づき、一人遊びの体験した事実からくる。まさに事実は小説より奇なりの世界である。よって、ありのままを書きたいところだがもちろんその人々に迷惑があってはならないから、そこについて個人の特定に至らぬように充分配慮したいと思う。

その為に、一度だけあのお決まりのフレーズを宣言したいと思う。

 

この物語はフィクションです。

実在の人物や団体などとは一切関係ありません。

 

さあ、物語を始めよう。

 

一人遊びの辿り着いた真理とは何なのか?

そして、一人遊びという男はいったい、何者なのだろうか?

 

続く...