あらすじ

■あらすじ

「魍魎の町で」とは、

一人遊びという一人の

一人遊びニスト(即ち、巷ではPick Up Artistやナンパ師と言われる存在)が、

 

どう誕生し、

何を知り、

そして消えていったのかを語る、

実話に基づく物語である。

 

 

■はじめた経緯

はじめまして、どうも一人遊びと申します。

以前ナンパ活動をしており、今はもう一線を退いております。巷には様々なナンパ師ブロガーたちがいます。しかしもうブログという形式を取ることより、Twitterを中心としたSNSでのリアルタイムな交流をベースとしたナンパ活動のほうが盛んに行われていると思います。

一昔前はナン研という、アンダーグラウンド掲示板のナンパ研究会というのが、ブログやSNS全盛時代の以前の日本の0年代ナンパ史における中心的な交流の場だったようです。それがmixi等のSNSの登場前後ナンパブログ時代が花咲き、10年代前半から流行り始めたTwitterによるSNS交流が今のナンパの主流な交流の場になりつつあります。そのようなSNS全盛時代においては、リアルタイムに様々なナンパ師同士の交流を見ることがナンパクラスタや一般のナンパフォロワーたちにとって楽しみなのかもしれません。一人遊び自身はSNS全盛時代に活動をしていましたが、その中で全国行脚して古い世代、新しい世代、当代随一の実力者と言われた人々と交流をしてきた経験があり、現代ナンパ史があるとしたらその生き証人のうちの一人であることは恐らく間違い無いと思います。

そんな私の奇想天外摩訶不思議栄枯盛衰の経験をどういう形で表そうかと考えた時に、ここであえて、クラシカルにブログというオールドメディアで新聞の連載小説のように、ありし日のことを語り綴る形式を取ってみるという試みをしてみようと思いました。よくよく考えるとそのような形式のものは小説にあれどナンパブログ界隈ではあまり拝見したことがないため、小説調で書き綴ってみようかと思った次第です。

恐らく思い出したり時間の合間に書き記し拙速を持ってアップする為、思い出した時に加筆修正は頻繁に入るかと思いますがどうかご容赦の程を。

そしてゆくゆくはこの物語だけでなく、

一人遊び自身が成功と失敗を通して学んだ恋愛やコミュニケーションにおける様々な事実や法則についても語り伝えていこうと思います。

この遊びは時代によって変わる部分と時代によって変わらない部分のそれぞれがあります。

それについてはその世代においては自他共に認める再現性のある理論について人一倍考えた人間のうちの一人でした。しかしそれを遂に著す機会なく一線を退いてしまったため、皆さんにお役立ちできることもあるかと思いますので、またいずれどのような形でも残しておこうと思っております。

 

それでは最後に、

不定期ではございますが、これから物語の終わりまで連載を続けて参りますので、一人遊びの物語をみなさんに楽しんでいただけたらと思います。

 

一人遊び

 

第1話

 時を遡る。

「一人遊びもそろそろ恋愛したら?」

電話の向こうの友人が自慢げにそう言った声が辺りに小さく響いた。

 

始まりはあの一言。

あの頃、まだ学生の頃、夜中に学園都市に住む友人の家を訪問する為、電話をしながら歩いていた。

 

園都市は非常に静かで、ロボットが歩いてるなんて夢みたいなことは全然なく、単なる大都市の郊外に位置した田舎だった。バスが1時間に数本しかない為、友人の住む家迄は駅から15分から30分程度行かねばならなかった。一人遊びはその頃、別の田舎の都市に住んでいたが第一都市に用があるたび、夜行バスに揺られて彼の狭い部屋に泊めてもらうために月に一度は訪ねていた。一人遊びと友人は典型的なオタクだったので毎年コミックマーケットに行ったり、オタク活動に勤しんでいた。オタク活動をするには第一都市はとても魅力的な町であり、今日もまた何度目かの訪問で電気の町を訪ねアニメや漫画の聖地を巡って1日満喫し、当時できたばかりの片道千円近くする学園都市急行に乗って、彼の家に泊まりに行ったのだった。

駅前の店はすでに閉まっており、学園都市の学生が住む住宅街に向けゆっくりと歩きながら、特段何も面白いものもないため、友人に到着時間を告げるために電話し、そのあとの流れで雑談をしながら歩いていた。

彼は高校の頃からの友人で、私たちは特段モテることもない青春時代を過ごし、彼はゲームに、私は部活に青春を費やしたのだった。

その後各々別の大学に進学し交流は続いていたのだがやはり長い受験戦争の果ての大学生活、暇をもてあませば男子たるもの恋愛したいと思うのがごく一般的発想であった。

電話越しの話によれば、友人は一人遊びに先んじて恋愛活動を開始しめでたく、女性との逢瀬を開始したようだったがどうやら、その女性が非常に厄介な女性らしく、友人ともいい感じになりつつ、別の男子学生とも恋仲であったようだった。その恋愛体質の女性に振り回されつつもはじめて逢瀬を重ねる女性にウキウキと心を踊らせながら声を弾ませて言われたのが冒頭の一言だった。恋愛しろよ、と。

その時分まで硬派を決めて生きてきた一人遊びは、中高と共学ではあったが全く恋愛に興味はなく、例えば高校時分に男子校に練習試合に行った折、拗らせた溢れ出る恋愛欲、或いは単なる性欲を元に文化祭でラーメン屋台をやる店名を「Theーメン」などとする変態的発想の男たちを心底軽蔑していた程度には性欲に脳を支配された男達を馬鹿にしていたものだった。そもそも色恋などというものはうんたらかんたらで時間の無駄であり、世の中にはそれよりももっと素晴らしいくて価値あることが山ほどあり、そんなものに支配される人生は大変に残念なものであると思っていた。そんな中偉大な物理学者と言われるホーキンス博士が自分の残した物理理論を差し置いて解けなかった謎は女性だとのたまわった日には、ついに大英帝国の大博士も晩年のニュートン卿の如く気でも触れたかと思ったものであった。しかしながら、一生同じような価値観を持って歩んでいくと思えた馴染みの友人から、後から考えればどんぐりの背くらべに過ぎない恋愛の経験値の差を持って謂わゆるマウンティングのような一言を言われた日には、なかなか晴天の霹靂のような心地がしたものだった。同時に自分の中にそのような浮いた話が全く持ってこれまでなく、さしずめラノベのハーレム系主人公のようにバッキバキにフラグを折っていたような節がなかったわけでもないと、後になって思わないこともないが(いやそんなこともないか)、彼の一言にまるで月とスッポンのような人生の経験値の差を突きつけられたような気がして、同時に忘れ果てていた夏休みの宿題を31日に気付いたかのような、人生で残してきたクリアしなければならない課題のような気がして、一抹の悔しさと焦りと、その経験値の差を一気に取り戻したいという浅はかさから咄嗟にその時、苦し紛れに答えたのがこの一言であった。

 

「いや俺が恋愛するなら町でナンパでもしてやるよ」

と。

 

続く...

魍魎の町で 用語

魍魎の町: 一人遊びの住んでいる町。魍魎の町というほどに魑魅魍魎はいない。夜は眠る町。

 

第三都市:日本国の某地方都市。魍魎の町は第三都市に存在する町。

 

魍魎くん:魍魎の町のシンボル。某企業のマスコットキャラクターでもある。

 

赤いアイツ:某国のエース・パイロットのモビルスーツと同じ色をした魍魎の町のシンボルの1つ。カップルがよく利用する模様。


混沌の町:第三都市のもう一つの繁華街。魍魎の町と双璧を成す代表的繁華街。混沌の町はその名の通り、各方面の闇の勢力が入り乱れる混沌を極めた町。眠らない町。

 

外港の町:第三都市に隣接する第七都市の港町。


(随時加筆予定)

 

第0話

断っておくが、この物語に終わりはある。

物語は往々にして当然終わりがあるものだが、そのうちの一つであるこの物語にも終わりがある。

 

 魍魎の町というほどに、魑魅魍魎の跋扈する町ではないのは間違いないが、はてさてこの第三都市に来し方何年も過ぎた。

 

ふと思い立ち過ぎし自由と青春の日々を思い出していた。あるとき友人達からこんなことを言われたのを思い出す。

 

D「ブログを書かないか?」

B「そうですよ、ブログ書いてくださいよ

めっちゃ読んで見たいです。」

D「君は言葉を持ってるからきっと面白いブログが書けるはず。」

 

その時は正直気乗りしなかった。

なぜなら一人遊びはその頃、何もわかっていなかったからだ。そんなことをするよりも一人遊びはこの遊びの真理を探究したかった。

この遊びに興じる野郎どもは大抵二つの理想を抱く。

 

一つは、愛すべき生涯の伴侶を見つけること。もう一つは、この遊びの真理を探求すること。

 

そして大体の若者達は前者を見つけ、

この遊びの界隈から卒業していくのである。

言わば、これが青春の終わりというやつなのかもしれない。

私も学生を終えて以降にこんな青春が待っているとは思っても見なかった。

毎日が輝いており、そして毎日が出会いに溢れ、振られ、口説き落としてナイトセッションに興じたりしたりしながら、成功も失敗も仲間と笑いあったりもしたものであった。でもその裏に潜む危うい出来事や挫折や嫉妬、恐怖体験もまたそれらの裏返しに過ぎない。

女性読者の人々がいたとしたらぜひ覚えていてほしい。貴方が人生で一番だと思って出会った男の後ろには、こんな物語が潜んでたりするものだってことを。もしかしたら知りたくもない話かもしれない。しかしながらこれは、太古の昔、人類がアフリカで誕生した頃から繰り返されてきた言わば人類の伝統芸能の一つだと思う。男はみんな一人遊び二ストである。実は女がみんな一人遊びニストであるように。

だからこそ、それに拐かされたとどうか悲嘆に暮れることなく、その工程を楽しんでほしいと思う。なぜなら、君のお父さんとお母さんにもそんな時代があったのだから。

その結果選ばれたあなたは、一族の最高傑作であり、素晴らしい遺伝子なのだから。

などと励ましながらも、

多くはこのように素敵な女性に出会って、この遊びから卒業きていく。しかしもう一つの理想とはまた業が深いものである。

 この遊びの真理の探求。それは即ちありとあらゆる女性を口説き落としてセッションしたいという男子誕生して何十年刮目して見るまでもなく、誰もが持つ青い欲望とひたすらに向き合うということである。これは往々にして多くの社会性の問題を抱える。なぜなら、人は敵わぬ欲望と正しく向き合うことで大人になっていくからである。大人になれない存在は社会から爪弾きに合うか、ひっそりとその遊びを嗜むことなく貪り続け、最後は同じ欲に取り憑かれたものどもと帝国でも建国するしかない。しかし帝国主義は歴史を見ても明らかなようにじきに滅びるのである。そして実際滅びていく。正しいあり方は滅びる前に大人になるか、真理がわかればそれをもって界隈を去るかである。でなければ年月をもって青春を終わらせるか、あるいは真に滅び去るかだと思う。私は真理の探究に挑み続けまるで日の本一の剣豪になるかの如く探究に進み続けた。結果さまざまな全国の一人遊びニストたちと交流し、武者修行に挑み、その結果帝国主義に誘われ、時代の変わり目を目の当たりにし、ここを去らねばならなくなった。しかしてその結果真理にたどり着いたという、稀有な事例だと思う。よって一人遊びはもうあの自由と放埒の日々に夢を抱いて戻ることはもうできないだろう。良くも悪くも一人遊びはあまりにもいろんなことを知り過ぎた。お花畑の夢や理想を抱いてこのアングラな世界に入ったものの、結果として目の前の魔法なき残酷な現実のそれぞれを知ってしまったのだ。そう、この世界に魔法使いなんていないのだ。

魔法使いに見える人々の裏には常に不都合な真実が隠れているのだから。

でも、またいつもの、あのいつの時代も変わらない溜まり場に、いつも集う若者達が、ストロング缶を飲み干し、女性達にアプローチする遊びに興じる様と、迷惑そうであったり愉快そうであったりしてそのアプローチに応じる様を見るにつけ今も微笑ましい気持ちにはなるものである。あれだけのことがあっても一人遊びは彼らの事を嫌いにはならなかった。

 

そんな中、仕事の帰りにあの魍魎の町の、

いつもの溜まり場の前をふらりと通った時、

たまたまあの日々のことを思い出した。

 

そして墓場まで持って行くつもりだったが、

考えを改めるきっかけとなり、

墓場まで持って行くには惜しかった

魅力的な人々について、

愛と尊敬を込めて、

墓場に行く前にここに残せたらなと思ったりしている。

 

念のため断っておくが、これから話すことは間違いなく実話に基づき、一人遊びの体験した事実からくる。まさに事実は小説より奇なりの世界である。よって、ありのままを書きたいところだがもちろんその人々に迷惑があってはならないから、そこについて個人の特定に至らぬように充分配慮したいと思う。

その為に、一度だけあのお決まりのフレーズを宣言したいと思う。

 

この物語はフィクションです。

実在の人物や団体などとは一切関係ありません。

 

さあ、物語を始めよう。

 

一人遊びの辿り着いた真理とは何なのか?

そして、一人遊びという男はいったい、何者なのだろうか?

 

続く...